爪
ツメイロ
色
指先に微かな違和感を感じる。違和感の割にひんやりと心地良い。
ふと目を開くと投げ出された腕の先、テーブルに縋るように付かれた手に快斗が顔を寄せていた。
正確には更にその先の爪に。
「…何をしてんだよ。」
「んー?見て分かんない?マニキュア塗ってんの」
眼鏡の柄がこめかみに食い込んで痛い、完全に覚醒すると共に鼻の奥にツンとくるシンナーの匂い。
テーブルに伏せた体制のまま快斗の顔を窺えば静かな室内に相応しい緊張した面持ちで、
血液型で性格が分かるなんてナンセンスだとは思うが、
見るからに良い加減そうな彼が几帳面に爪に色を乗せていくのは何だか意外だった。
白い指の先、桜色の切り揃えられた小さな爪が紅く塗り替えられていく。
こういう深い紅はお互いの親世代の女性にこそ似合うものだろうに、何でまた。
左手の甲に顎を乗せ観察していると覗き込んできて「ん、そっちの手出して」と出す前に手首ごと掴まれる。
差し出していない方の爪を観察する、塗り立てのペンキのような瑞々しさがまだ残っていて乾くには時間がかかりそうだった。
左手をさっきの右手のように爪に冷たい感覚が支配しようとしている。
塗り終えたハケを小降りで可愛らしいデザインの小瓶に戻すと快斗は満足気に溜め息をついて
「乾くまで動くなよ。」と人差し指を立てて忠告した。コーヒー煎れてきてやるよ、とキッチンに向かう。
俺はテーブルに10本の指を翼のように広げたまま動けなくなってしまった。
もうそろそろ探偵事務所に帰らなくてはいけないのに、指が汚くなるだけで何の支障もないのだから
すぐ側にあるティッシュで拭き取ってしまえばいいのに、動く事が出来なかった。
大人しく椅子に座ってマニュキュアが塗られた指先を見つめる。
何やってるんだろうな、と笑いが込み上げるが鼻で笑う程度に留まった。考える事を放棄する。
立場こそ違うが、身内に己を偽り続けなければならない点で彼とは共犯関係にある。
色々考えてもキリがなかった。
だから怪盗とか探偵とか全てを捨てて近所の兄ちゃんの家に遊びに行くという名目で、ここに訪れた。
勿論、彼の母親、幼馴染みをいない時を見計らって。
やけに居心地が良かった、気張らなくて良いし、何より彼は、快斗は距離を置くのが上手い。
適度に平等に接し、適度に子供扱いし、適度に甘やかした。
器用に緊張をほぐされ、気が付くと机に突っ伏していた訳で。
目覚めても、正直、まだ帰りたくなかった。
「帰る場所」というと聞こえがは良いが、どこまでも、あそこは偽りの団欒なのだから。
快斗の悪戯で丁度いい理由付けが出来た訳だ。
それでも一向に乾かないのは、帰れないのは彼が持ってきたマニュキュアが安物だからだ、と心の中で言い訳をする。
彼もそれを許してくれるだろう。
「お前の手、綺麗だし、爪の形もいいから塗り甲斐あるんだよな」
テーブルに手をついて伸びをしているとマグカップを両手に快斗が戻ってきた。
目の前に置かれたカップには、なみなみとコーヒーが注がれている、手を延ばそうとすると制された。
「飲めねぇじゃねぇか、冷めちまうし」
「駄目、どうしても飲みたいなら、こう、犬みたいにすればいいじゃん」
「はぁ?誰がそんな…」
会話に掻き消されないようにと自己主張をする振動音、すぐ側にあるティッシュ箱の前。
ケータイが着信していると把握する前に彼はそれに手を伸ばし、画面を確認する。
「あー、らーん姉ちゃんからだ。」と独り言とも取れるようにぼやくと、それを少し離れたソファに放り投げた。
抗議しようと立ち上がると、動くなっつったろ?と持っていたカップに視線を固定したまま低く言い放たれる。
仕方なく座り直し、少し経つとケータイのバイブレーションが止まった。
快斗はコーヒーを置き、その流れのまま手首を掴んで引き寄せる。
驚いて反射的に手を引っ込めようとすると何もしねえよ、と笑われた。
「んー、大分乾いてきたけど、まだちょい我慢してな。」
「ん?あぁ。」
「…子供の手なのに爪が紅いってだけで何だかエロい気がする」
「女装みたいなもんか。一応、言っておくけど、これ勝手にやったの、お前だかんな」
「わーってるって。」
そう言って快斗は掴んだままの右手の甲に口唇を合わせた。
「…知ってるだろうけど。そこで本当に手にキスするのは失礼なんだぜ?
だからフリだけするのが礼儀なんだ。」
「はっ、でも、もう礼儀もクソもねぇだろ?」
口唇と手の間から舌を出して、指の間、水かきまで一気になぞられる。ゾワゾワとした感覚。
「何もしねぇんじゃなかったのかよ?」
「なぁなぁ、お前さ。そんな物分かりの悪い人間じゃねぇよな?」
「当然、だろ?」
鼻で笑うように言い放つと、言い放った言葉ごと口に戻された。
ただ、手が動かせないとキスの時に眼鏡が外せなくて。
それがひどく残念だった。
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私は眼鏡と手フェチです。
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